脱サラ目標→自分の人生自由に生きるブログ

自分の力で自分らしく自由に生きるための奮闘記

遅咲きの名軍師

こんにちは。まっす〜です。

 

日本は転職したり自営業なりチャレンジした人は再度サラリーマンとして転職することが難しいです。

ただいつの時代もそのような境遇のなかで人生のターニングポイントを上手くキャッチして成功を手にしている人はいます。

過去にはこんな偉人がいます。

 

それは戦国時代の山本勘助です!

山本勘助武田信玄の軍師で、武田家の所領拡大に多大なる貢献をした人とされてます。ですが元から武田信玄に仕えていたわけではなく、途中から仕官(今でいう就職すること)して成功した人です。

 

 

仕官した年は44歳、武田家は父である武田信虎が 子の信玄に追放されて当主になってすぐのことです。武田信玄は22歳でした。

この当事でいったら人生50年!今でいうと、50代の転職でも若すぎます!

 

山本勘助は今の愛知県豊川市辺りで産まれて26歳の時に諸国を放浪する旅に出たと云われています。 

その後、約10年にわたり関東、中国、四国、九州を旅して兵法、築城術、軍法を学び極めたと云われてます。

山本勘助は37歳の時に今川義元に仕官の申し出をするんですけど、断られます。

勘助は顔に傷があったり、色黒で容姿も悪かったそうで、今川義元から非難されてしまいました。

その後は駿河国(静岡)で鬱々とした日々を過ごしたそうです。

それが、44歳という遅咲きでの仕官。

若かりし信玄にも、諸国の事情を教えたと云われてます。

また、今川家の存亡についても信玄に教授し当てたそうです。。

上杉謙信と幾度と闘った川中島の合戦で亡くなるまで、信玄の右腕として信濃攻略や数々の戦で手柄を立てたと云われてます。

  

今でいうところの、

今川家=100年続いている大企業。経歴重視。

武田家=最近勢いづいたベンチャー企業。実力重視。

という感じですかね。

 

この時代で、このように転職に成功している人がいるのはすごい勇気づけられます!

武田家のように経歴よりも実力を重視する会社もあるということです。

山本勘助も長年鬱々とした日々を過ごしたようですが、やはり「希望」を捨てなかったからこそ繋がったんですね。