新しい一歩を踏み出さなきゃ!
こんにちは。まっす〜です。
このブログのタイトルの通り「自分の人生自由に生きる」の名の元で、一昨日よりアフィリエイトで成功している方のメルマガ登録を行いました。
そこには、まるで自分の理想像であるかのような成功された方の成功体験や今後のアドバイス等が載っていました。
嫌な人とは今後一切付き合わないようにするための人間関係の自由。
どこにいてもパソコン1台で仕事ができる住む場所の自由。
そして、何より生きていくために必要である経済的な自由。
このような自分が追求している「自由」がありました!
今後も引き続きメルマガ配信して頂けるようで楽しみにしています!
また自分としては、もっとアフィリエイトの知識を深めなきゃ!文章力を鍛えなきゃ!といった今後やるべき事が更に明確になっていったかと…
とりあえず、一歩前進した気でいます。
それは知識としてはあまり増えていないかもしれませんが、成功者のメルマガ登録というアクションに移せたというとこです。
それがどう転ぶか解りませんが、人生を好転させる一歩になるだろうと信じてます(^。^)
先ずは、始めたばかりのブログの質を高めて行きたい。
その後で、メルマガやホームページを作成したりといった将来のビジョンが少しずつ見え始めてきた気がします。
P.S.
先日、誕生日でしたのでお祝いのため妻が焼肉屋に誘ってくれました。(もちろんお代は妻が持ってくれました!)
新居の近所にある焼肉屋です。
いつもは有名な某チェーン店に行くことが多いですが、今回は始めてのお店です。
これも言うなれば新しい一歩で、新しい発見がありました。
美味しい焼肉を提供して下さって、また子供用にお菓子をサービスして頂きました。
お店はすごく活気が良く、食べた後は店の外までお見送りといったサービスもあり店員さんの熱い情熱が伝わるお店でした。
そういう元気な店、サービスの良い店は今後も通いたいと思います♪
会社を辞めれない人はプライドも高い⁉︎
こんにちは。まっす〜です。
今日もジメジメっとした暑い日が続いていますね。
そういえば、梅雨っていつ明けたんでしょうか?
ところで今日、仕事の先輩と何気なく転職の話しをしていたんですが、一言気になる言葉があったのでそれについて考えて行きたいと思います。
先輩「お前、よくこの歳で家族もいるのによく転職できるな〜」「転職したら新しい職場て年下の奴から小言言われながら仕事しなきゃいけないぞ!」
だいたい諸先輩方は皆んな同じような事を言いますが、以外にまとめると。
①31歳、妻子持ちで新しいことに挑戦→収入が途絶えるのが怖い
②当然、転職したら新しい職場で小言を言われながら仕事を覚えなくてはいけない。
→今まで大手企業の現場で親方日の丸的な態度で仕事していたので、今更人から教わるような事は出来ない。
①は確かに怖さもあります。
②については、新しい職場に行ったら当たり前なわけで。
プライドが邪魔しているのだと思いました。
今の会社は業界では最大手で、現場社員はこの道20年、30年なんてベテランがたくさんいます。
名刺や肩書で何か自分が崇高な人間になったと勘違いしている人もたくさんいます。きっと会社や肩書がなければ何もできない人たちでしょう。
ただ、親方日の丸的な会社で現場のルーティンワークをこなしているだけです。
毎日を何事もなく無事に過ごすだけの(←実際にある先輩が言っていた)人たちです。
そんな人たちに、挑戦する人をバカにする権利なんてありません!
ただ、サラリーマンというと毎月決まった給料がある。クレジットカードや住宅ローンを組めるといった社会的な信用もまあ保証されています。
社会的に認められている存在であるから、これから何かに挑戦しようとしている人たちに対して勝ち誇ったように勘違いしているだけです。
自分としては、自分の力で稼いでいる人のほうが、よっぽど尊敬できます!
もちろん全てのサラリーマンがそうだとは言いません。
サラリーマンでも向上心があり、立派な方もたくさんいます。
でも大多数の人が今書いたような人ばかりで一緒に働くのが嫌になってしまいました。
ブラック企業の見分け方
こんにちは。まっす〜です。
昨日、正式に退職願を会社に提出しました。
そこで思ったのは、自分の中ではブラック企業であった会社ですが、入社前に見分けることが出来なかったのか?
もし見分けることができていたら経歴を少しでも傷付けずに済んだのではないかと思います。
自分がなぜ今の会社を疑いもせずに入社してしまったのでしょうか⁉︎
今後のためにも自分なりに原因を挙げてみます。
◾️入社前
①大企業ということで全てを疑いもしなかった。
②応募した当日に次回の面接の連絡がきた。
③面接は一回のみで、人事担当者と面接。
→普通、役員面接とかあるはずが、ない会社だった。
④面接を終えたら、即合格。
⑤採用となったら、再度所定のフォーマットで手書きで履歴書を出すように言ってきた。
◾️入社手続きにて
⑥あれこれ入社に関する提出する書類が多い。
特に、何故か支店長宛に今後の所信を手紙に書くように言われた。
入社してからも、保険の手続きが遅く自腹になった月もありましたが、結局は入社前にこれほどおかしな点があるにも関わらず、自分が気付かなかったことです。
また、入社前に夜、会社に行ってみるのも1つの方法ですね。
もし、夜も煌々と灯りがあれば残業の多い会社だとかわかりますよね。
インターネットで会社の情報を調べてみるのも必要でした。
転職関係の社員の口コミサイトや2ちゃんねるとかも結構リアルに書いてますよ。
やはり自分の会社は悪評名高い会社でした。
転職サイトの求人票を見るだけでも、不信な点、疑う点はありますね。
「アットホームな会社」「月収○○万円保証」など。胡散臭いです!
では、反対にホワイトな企業というのは、どのように判断すればいいのでしょうか?
いろいろ調べながらまたブログに綴って行きたいです!
乞うご期待を!
年齢はただの数字!
こんにちは。まっす〜です。
今日は自分の誕生日です。
31歳になりました。
本日の朝4時ころにこの世に誕生したといわれてます。
同時に産んでくれた親にも感謝です。
さて、子供の頃は誕生日が来るとプレゼントが貰えたら楽しみてましたが、今は違います。
また歳を重ねて31歳になったということでこれはどうゆうことかと言うと…
生活面では、29歳と30歳の違いは大きなものがありますが、30歳から31歳はあまり変わりませんね。転職求人の募集では30歳迄といった年齢制限もあり、31歳だと応募できない求人もあります。
つまり転職の面では、年齢面でまた不利な状況に少し追いやられます。
あとは世間での観られ方でしょうか?
それ以外は自分の気持ちの持ち方ですよね。
あまり気にしない人なら、それでいいですよね。
気にしてしまって、何か始めるのに躊躇してしまう…なんて人もいるんではないでしょうか⁉︎
年齢が重荷になってしまうのは、勿体無いです。
正直、肉体を酷使するスポーツでなければ遅すぎることはないと思います。
逆に年齢を重ねるとともに培った経験値があるのでいいのでは?
自分は、年齢を重ねたことに全く気にしていません。
気にせず挑戦を続けようと思います。
そして明日をもっと良く過ごそうと思います。
だから皆さんも年齢はただの数字と思って、頑張りましょうね(^。^)
嫁の逆流性食道炎の検査。
こんにちは。まっす〜です。
前々から嫁が体調不良をうったえていて、特に朝が体調悪いとのことで内科に通っていたそうです。逆流性食道炎の疑いでした。
その内科から紹介を受けて検査のため今回は胃カメラを飲むことになりました。
自分も4〜5年前に胃カメラを飲んだときは本当に苦しみました。
今回嫁は局部麻酔と意識を朦朧とさせる薬を使ったようで苦しまずに検査は終了したようです。
医療も進歩してますね〜。
まず、局部麻酔のジェルのような物を喉元で飲み込まずに5分間待機させてその後飲み込みます。
同時に意識を朦朧とさせる薬を点滴します。
薬が効いてきたところを見計らって検査開始です。
待合室で1時間ほど待ってたら終了してました。
当然、嫁は麻酔の影響でダルそうでした。
お腹は張っていて、頭がボーっとするようです。
前々から薬も飲んでたこともあって、逆流性食道炎ではなかったようです。
検査終了から1時間ほど経過して水を飲んでむせないようなら、食事しても良いそうです。
一件落着でした。
過去を恨んではいけないが、分析してみた。
こんにちは。まっす〜です!
毎日暑い中でゲリラ豪雨が多くなってきましたね。
移動には、傘が手放せない感じです。
最近ふと思ったのは、自分が時々鬱な時があったり、はたまたコミュ障なのか?
原因は何なのか?
自分なりに分析してみました。
まず自分は静岡県の田舎町で生まれて、18歳まで過ごしました。
学生生活も決して素晴らしいものではありませんでした。
10歳のころ交通事故にあい、検査のためCTを撮ったところ、事故の原因とは別の小脳に腫瘍が見つかりました。
CTで撮ったところでは、悪性腫瘍なのかも解らないため即手術になりました。
手術で摘出して腫瘍は良性のものだと解りました。
それは良かったんですが、その後の後遺症が大変でした。
脳を傷つけたため時々酷い吐き気に襲われました。
そのため10歳の小学生は友達と遊ぶのも遠慮しがちになったり、学校も休みがちになりました。当然家でも、行動すると吐いてしまうので寝たきりの状態でした。
そのようなアップダウンの激しい後遺症と2年間闘いました。
中学に入る頃にはすっかり後遺症はなくなりましたが、自分にはコミュニケーション障害だったりマイナス思考だったり何か恐怖があるような気持ちだけが残りました。
その後は運動部に入ったり、勉強を頑張ったりしました。
結果は、どれもイマイチでしたけどね。
大学は県外の大学に行きました。
コミュニケーション障害が残る中、なんとか友達も作り、彼女もできました。
その時の彼女が今の嫁です!嫁には本当感謝しています!
大学を卒業して、会社に就職。自分が選んだ職業は営業職。ただそこでもコミュニケーション能力不足が影響して、仕事は苦労しました。
その後、販売職→また営業→自営→営業→運送(現在)と来ています。
3社目の営業職では、パワハラ上司にあたりうつ病を患いながら仕事をしていました。それでも、結婚というイベントもあり、なんとか仕事を3年2ヶ月続けました。
ただ、かねてから目標とした自営業をするためにも頑張って貯金もしていたため、夢の自営業をするころには「燃え尽き症候群」のような状態になりました。
その頃には子供も産まれて、自営は結局1年間頑張り、またサラリーマンに戻るかたちになりました。
ただ自営をしていた経験があるため、サラリーマンで違和感があり、社内や取引先とウマが合わず鬱になって退職してしまっています。
自分のコミュ障もあるかもしれません。
それか自分が就職した会社は歴史ある古風な会社でルールが厳しかったのも影響しているのかもしれません。
コミュ障でも家族と幸せに行きていくため今後も働かなくていけません。
自分に合った場所と環境で働いていく必要があります。
人生を悔やむつもりはないですが、自分なりに分析することは必要ですよね。
過去に執着せず、前に進んで行こうと思います!
というか進まなくてはいけません。
故郷とは程よい距離をとる!
こんにちは。まっす〜です。
今日は高校野球地方大会の準々決勝でした。
母校は歴史は浅いですが、野球の強い高校です。
過去には甲子園でも好成績を残している高校です。(自分は野球部ではなくテニス部でしたが…)
しかし本日負けてしまいました。。。
最近は地元に帰るのも年に2回ほどですが、学生時代の自分を育んでくれた故郷は忘れません。
地元で住んでいる人は常に周りに同級生や友達や親がいて楽しそうな反面、自分としては窮屈さを感じます。
住んでいた街は、かなり田舎町でいまだ変な固定観念が存在しています。
高校を卒業したら、地元で就職。大学卒ならまだ県内ですが、それでも都市圏ではなため就職は大変で職種は限られます。
そんななか、大抵の人はサラリーマン一本で生活しています。
たまに地元に戻って飲み会しますが、給料が安いだの、転職しても選択肢がないだの愚痴を嘆いています。
だったら、一度東京とか都市圏に行って給料の高い職種に転職したり、株をやってみたりすればいいじゃん!って思います。
でもそれを言っても、みんなの答えは今は忙しくて〜とかお金がなくて〜とか地元が好きだからとか言い訳ばかりです。
そんな言い訳をするうちは、何も発展していかないと思うんですけど。
一度勇気を出して、挑戦してみてよ!
すぐには結果に繋がらないかもしれないけど、ワクワクしたり感動したりしますよ。きっと!
地元にいるうちは狭い固定観念があるので本当に自由が効きません。自分もそんな違和感を感じながら生活をしていました。18才で県外の大学に行きそのまま就職しましたが、世界も広がり良かったと思っています!
そんな経験もなく県内で生活して一生を終えるのは勿体無さすぎます!
なので、このブログを見て少しでも外の世界に触れて行って欲しい。
海外旅行に行ってみるのもいいかもしれません。
いろんな世界を見に行きましょう。
職場も地元もそうですが、閉鎖された空間です。
飛び出しましょう!
では!